龍馬伝

46回土佐の大勝負
ヨッパライで、見栄っ張りで、威圧的で、
でも本当は小心で。
それは何も後藤や容堂公だけでなく、
組織でそこそこ上の地位にいるものと
いうのは多かれ少なかれそういうものだと
思う。そいつらが、本気になる可能性という
のはそんなに高くもない気がする。
何故後藤も容堂公もそれなのにそのぬるま
湯から出たのだろうか?
境遇、待遇、それらとは違う人の血のつなが
りを感じたのだろうか?
時代が変わるというのは時にあっけないもの
とも言える。古いものにしがみつかないという
のは案外と難しいものである。