個人的清原回顧:西武時代

1年目の清原は何と3割を超え、高校出のルーキーの
新記録31HRをマーク。特に夏以降は大活躍した。
私もこの年若武者清原を応援した。
しかし、このころライオンズは徐々に球界の新盟主として
奉り上げられるようになり*1何かといえば関東といい
元々埼玉志向は薄かったが全国区へという人気の取り方
マスコミの報じ方、そしてそのシンボル的存在になって
いた清原にはだんだんいい感情がしなくなってくる。
だいたい清原からは、埼玉のさの字もほとんど聞いたことがないし。
とはいえ、清原のライトヒッティングのウマさ*2勝負強さというのは見ていて凄みは感じた。
しかし年が経つにつれて清原はだんだんと今ひとつな選手になっていく。
何故かタイトルがとれない。伊良部とか野茂とかに対して闘志を
燃やすがストレートにはめっぽう強いものの、フォークボール
勝負されるとあっさり負けるなど、どうも「何とかなってしまう
バッター」になっていってしまった。
うーんこれはいいすぎかもしれないかなぁ。でもあの1年目の活躍
そして、高校時代の怪物ぶりをみると、どうしても「何とかなら
ないバッターでいてほしいし、そうなれるはずだったのに…」
という思いが私は強い。
しかも給料だけは不思議とドンドンと上がっていく。
このスターびいきなオーナーは、同じことを松坂にもやって
いる。特別扱いが彼らをダメにしていってしまったのでは?
という気がしないでもない。
(松坂は今年のポストシーズンではちょっと意地を見せて
くれたが)
そして彼を輝かすのに一役買っていたAKOの秋山も
デストラーデもいなくなると、清原の存在までが薄れてきて
その上曲りなりにも一応清原を抑えていたと思われる森監督が
やめ、博打野球東尾になると、もう本格的にダメに
なりつつあった。そこに転機が訪れる。
FAの年が迫ってきたのだ。

*1:一般で言われるのは多分、もうちょっと前の昭和58年なんだろうけど、旧世代である、田淵や大田がまだ残っていたころはまだ、そんなにイヤミな強さではなかった

*2:この妙に器用なところがもしかしたら、結局超一流になれたはずの清原を一流ではあるがなんとなくどっちつかずの選手にしてしまったのかもしれない