個人的清原回顧:PL学園時

もう高校野球にはそんなには思い入れもなくなって
きましたが、PL、桑田清原(以下KK。でも考えて
みれば、いつも桑田、清原の順だったと思う。)
のコンビ時代の辺りはほんと食い入るようにテレビに
かじりついてみていました。
彼らは疑いなく甲子園の大スターだったわけですが、
何と言うか、彼らの高校時代ってPL学園って善玉では
なかったと思うんですよ。1年生の時はともかくとして。
KKが1年の時はもちろんPLは当時から強豪でしたが
そんなにかなわないほどの王者という印象ではなかったです。
何せ、所沢商の選手の談話(当時の埼玉版で読んだ記憶あり)
が「練習試合で勝ったから楽勝」というようなことを書いていたし、
PLの中村監督も「新一年生(つまりKKのこと)が入ったから
わかりませんよ」ぐらいな弱気ぶり。一年生だよりじゃ(そいつら
がそんなに化け物だとはつゆしらず)正直所商が勝つだろうと
当時は思いました、でも所商ボロ負け(苦笑)
そこからKKの輝かしい歴史が始まるわけです。
その年は人気実力共にあったやまびこ打線池田高校が
夏・春・夏優勝がかかっていたわけですが、池田高校は
ヒールな横綱タイプではなかったと思うんですよ。
なんか無駄に嫌われる、明徳とかと違って。
で、そこに勝っちゃった。だから何となく関脇が
横綱に勝っちゃダメだろ見たいな感じだったように
記憶してます。
なんかそこらから微妙に悪役路線というか三国志演義
おける曹操(=魏)みたいな感じですかね。そういう
風に私の中では定義されるようになりました。
実力も熱狂的なファンも多いんだけど、どこか
「こいつらにはついていけない」感がいつもつきまとう
という感覚というのか。
そしてKKが二年の時は、エリートPLに対しての
アンチテーゼとしての岩倉と取手二にスポットライトが
あたるわけです。マスコミはPLはいい子、礼儀正しい
(今の清原からは想像つかないかもしれませんが)と
いう正統派という感じで取り上げ、やんちゃなのは
岩倉の山口とか取手ニ高の吉田(ここは吉田だけじゃ
なくてみんなだったけど)でしかも、彼らは結局勝ったので
やんちゃが勝った、ノビノビ野球が勝ったと
まあ梁山泊軍(あれ、話が水滸伝に…)のように、
あらくれもの万歳みたいな感じで、結局悪役はPLだった
ような記憶があります。
3年の時はさすがに、王者びいきというか、強い横綱
求める日本人気質というのか、そんなものが世論を
覆い始めた気がするのですが、春の選抜ここでも伊野商の
豪腕渡辺の前に敗れる。清原は三振を3つも取られた。
確か「こんな早いピッチャー見たことない」といってました。
プロに入ってからもしばらくはこういっていたと思います。
(私はテレビを見ていてむしろ、夏に出てきた同じ高知の
高知商中山の方がスゲーと思いました)
マ、個人的にはザマーミロでしたかねえ。
最後の夏。いきなり東海大山形相手に軽く調整
して(いるように見えた、桑田も投げなかったし)
あげく、29得点&リリーフピッチャー清原!
もうねーなんか「やっぱPLって悪役じゃん」
みたいなのをひしひしと感じました。あの当時。
そんな最後の夏、清原はHRを打つわ打つわ。
そして、最後は優勝でかざる。
そこがなおさら憎たらしい(笑)
強いところはヒール役になることが多いわけですが、
ご多分に漏れず、ヒールだったと思います、PLは。
まーもちろんこの感想は関東人から見たPLということが
大きなウエイトを占めているかもしれませんが。
とにかく清原は怪物ではあったと思いますが、
スゴイというよりも強すぎて「憎たらしい」感じ
でした。
そして、その後の彼の運命を決めたドラフトへ。