サダム・フセイン死刑

さてはて死刑というのはと考えてしまう。
確かに感情的に許せないという人間はいっぱいいる。
自分がもし、サダム・フセインのような人に人権を蹂躙されて
いたりすれば、死刑を望みたい気持ちになるだろう。
しかし彼が処刑されたのは、人を人道を虐殺・蹂躙したから
じゃなくてその上で、その後負けたからなのだ。
負けなければ罪にも問われないのだ。
それは何ともイヤなことである。
そして、またそういう人間を殺すということは結局は根本の解決には
ならない気がする。
正義というのはどこのための正義かということで問題が狂う。
正義を振りかざさない人間になりたいと思う。